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新潟地方裁判所新発田支部 昭和50年(ワ)64号 判決

原告

宮島孝行

ほか一名

被告

小柴政雄

ほか三名

主文

一  被告小柴照夫および同西浦勝己は連帯して、

1  被告小柴照夫は原告宮島サキに対し、金六二四万四、六八九円およびうち金五三四万四、六八九円に対する昭和四九年八月一五日から、うち金一二万円に対する昭和五〇年八月二一日から、うち金七八万円に対する昭和五三年一一月二八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を、原告宮島孝行および同宮島辰行に対し、各金三〇二万四、六八九円およびこれに対する昭和四九年八月一五日から支払いずみまで年五分の割合による金員を

2  被告西浦勝己は原告宮島サキに対し、金七三五万四、六〇二円およびうち金六三五万四、六〇二円に対する昭和四九年八月一五日から、うち金一二万円に対する昭和五〇年八月二一日から、うち金八八万円に対する昭和五三年一一月二八日から支払いずみまで年五分の割合による金員を、原告宮島孝行および同宮島辰行に対し、各金三九五万四、六〇二円およびこれに対する昭和四九年八月一五日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告ら三名の被告小柴政雄および同小柴和雄に対する各請求並びに被告小柴照夫に対するその余の請求および原告宮島サキの被告西浦勝己に対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告ら三名と被告小柴政雄および同小柴和雄との間においては、全部原告らの負担とし、原告ら三名と被告小柴照夫との間においては、これを四分し、その一を原告ら三名の負担とし、その余を同被告の負担とし、原告ら三名と被告西浦勝己との間においては、全部同被告の負担とする。

四  この判決の第一項の1および2は、被告小柴照夫および同西浦勝己に対し、原告宮島サキは各金一〇〇万円の、原告宮島孝行および同宮島辰行はそれぞれ各金五〇万円の各担保を供するときは、その原告は、その被告に対し、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

「被告らは連帯して原告宮島サキに対し、金七四〇万三、九二二円、原告宮島孝行、同宮島辰行に対し、各金三九五万四、六〇二円および右各金員に対する昭和四九年八月一五日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言

二  被告小柴政雄、同小柴照夫、同小柴和雄(以下「被告小柴三名」という)

「原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決

第二請求原因

一  原告宮島サキは、訴外亡宮島重の妻であり、原告宮島孝行、同宮島辰行は、亡重の子である。

二  亡重は、左の交通事故により、昭和四九年八月一四日死亡した。

三  交通事故の発生

日時 昭和四九年八月一四日午後八時三〇分ころ

場所 豊栄市木崎八三八番地先路上

加害車両 普通貨物自動車(富一ろ・八〇五号、以下「被告車」という)

右車両運転者 被告西浦勝己

事故の態様 被告西浦は被告車を運転し、国道七号線を新発田方面から新潟方面に向けて進行中、先行車両の追越にかかり、センターラインを越えて対向車線に入つたところ、折から同車線を自転車に乗つて新発田方面に向けて進行中の重と正面から衝突し、重をはねとばし、脳挫傷により即死させた。

四  帰責事由

1  被告政雄は、被告照夫、同和雄の父であり、同被告ら三名は柴興業と称する名称で、共同して自動車運送業を営み、その営業の用に供するため、被告和雄の名義で被告車を所有し、同車による運行の利益を支配していたものであるから、同被告ら三名は、自賠法三条の責任がある。

2  被告西浦は、前記追越をなすに当つては、自動車運転者として、前方を注視し、未然に事故の発生を防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、漫然とセンターラインを越えて追越にかかり、本件事故を惹起せしめたものであるから、民法七〇九条の責任がある。

五  損害

1  亡重の逸失利益 金一、五八六万三、八〇七円

年齢 死亡時三七歳(昭和一一年一〇月三日生)

職業 ガス熔接工

年収 金一三五万三、七〇〇円(ガス熔接工の平均賃金)

生活費 収入の三五パーセント(原告ら三名を扶養していた一家の主人)

就労可能年数 六七歳に達するまで三〇年

ホフマン係数 一八、〇二九

2  原告らの慰謝料

原告サキは金四〇〇万円

原告孝行、同辰行は各金二〇〇万円

3  葬儀費用 金四四万九、三二〇円

4  弁護士報酬 金一〇〇万円

原告サキは、原告代理人弁護士小海要吉、同渡辺昇三らに対し、昭和五〇年八月二一日着手金として、金一二万円を支払い、且つ本件勝訴の際には、報酬として金八八万円を支払うことを約した。

六  損害の填補

原告らは、自賠責保険から金一、〇〇〇万円の支払いを受けたので、亡重の逸失利益からこれを控除する。

七  亡重の権利承継

原告サキは亡重の妻として三分の一、原告孝行、同辰行は亡重の子として各三分の一宛の権利を承継した。

八  よつて原告らは被告らに対し、次の金員とこれに対する本件不法行為の日の翌日である昭和四九年八月一五日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

1  原告サキは、逸失利益金一九五万四、六〇二円、慰謝料金四〇〇万円、葬儀費用金四四万九、三二〇円、弁護士報酬金一〇〇万円の合計金七四〇万三、九二二円

2  原告孝行、同辰行は、それぞれ、逸失利益金一九五万四、六〇二円、慰謝料金二〇〇万円の合計金三九五万四、六〇二円

第三請求原因に対する被告小柴三名の認否

一  請求原因一の事実は不知。

二  同二の事実を認める。

三  同三の事実のうち、事故態様を争う。その余の事実を認める。

四  同四の1の事実のうち、被告政雄が被告照夫、同和雄の父であることは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

被告照夫は、昭和四七年三月頃から柴興業という名称で運送業をはじめ、その際被告西浦を自動車運転手として雇入れ使用していた。しかし昭和四八年二月頃には運送業をやめて、保有していた貨物自動車を逐次売却処分した。

被告車は、被告西浦がそれまで運転していた車両であり、同被告からの買入申込に基づき、被告照夫は昭和四八年二月二二日、同被告に、これを売却して引き渡した。

被告政雄は、以前農業のかたわら出稼ぎ或は土方をして生計をたてていたものであり、昭和三五年頃から富山市千石町にある西田地方食糧販売企業組合に勤めるようになり、現在も右組合で主として配達の仕事に従事している。

被告和雄は、昭和三九年地元の中学校卒業後、横浜の昭和産業株式会社に勤めたが、昭和四一年頃富山に戻つて、富士コニー、三島モータース、富山県小型運送株式会社、神越石産株式会社、神通川石産有限会社に順次勤め、現在前川吹付工業に吹付職人として働いているものである。

五  請求原因五の事実は不知ないし争う。

六  同六の事実のうち、原告らが自賠責保険から金一、〇〇〇万円を受領したことを認める。

七  同七の事実は不知。

第四被告小柴三名の抗弁

亡重は、本件事故当時、無灯火で自転車を運転し、しかも対向車線の真中より中央線寄りの、路肩から二・五メートルの附近を進行しており、また当時同人は相当量飲酒して自転車を運転していたもので、自転車に乗ること自体危険な状態にあつた。以上の事実関係からすると、亡重にも重大な過失があつたといわなければならず、その過失割合は、七割を下ることはない。

第五証拠関係〔略〕

理由

第一原告らと被告小柴三名との間の訴訟について

一  成立に争いのない甲第一号証の一、二、第二ないし第四号証によれば、被告西浦は昭和四九年八月一四日午後八時三〇分ころ、被告車を運転し、豊栄市木崎八三八番地先国道七号線を新発田方面から新潟方面に向い時速約六〇キロメートルで進行中、約一一メートル前方を同一方向に進行していた普通乗用自動車があつたので、これを追い越そうとしたが、前方に対する安全確認を怠り、対向車線上には障害物がないものと軽信し、道路中央部を越え、対向車線に進入した過失により、折から自転車に乗つて対向進行してくる重を約一八メートル前方に発見し、急遽ブレーキをかけ、ハンドルを左に切つて衝突をさけようとしたが間に合わず、被告車右前部および右側部を、右自転車に衝突させて、重を路上に転倒させ、同日午後九時ころ、豊栄病院において、同人を脳挫傷により死亡させたことが認められ(右日時、場所において、本件交通事故が生じたことおよび被告西浦が被告車を運転していたことは、当事者間に争いがない)、右認定を左右すべき証拠はない。

二  ところで原告らは、被告小柴三名が被告車の運行供用者であり、本件交通事故による損害につき、自賠法三条に基づく責任を負うものである旨主張するので検討する。

1  被告照夫について

前記甲第二、第三号証および被告小柴三名の各本人尋問の結果(但し、被告照夫の本人尋問の結果中、後記措信しない部分を除く)を総合すると、本件事故当時被告照夫は被告西浦等の自動車運転手を雇傭し、柴興業の名称で、自動車運送業を営んでいたこと、被告照夫は被告車を購入し、これを被告西浦の担当車として、被告西浦に運転させていたことの各事実を認めることができる。

被告照夫は、本件事故当時既に柴興業を廃止し、保有車両は逐次処分し、被告車は被告西浦に売却してあつた旨供述し、成立に争いのない乙第一号証によれば、被告照夫と被告西浦との間で、本件事故発生前の昭和四八年二月二二日、被告照夫を売主とし、被告西浦を買主とする被告車の売買契約締結の公正証書が作成されていることが認められる。

しかし被告照夫の右供述部分は、前記甲第二、第三号証に照らして、到底措信できない。また右乙第一号証(公正証書)が存在する点については、被告照夫の本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、被告照夫は昭和四二年頃から無免許で自動車運送業を営み、その間倒産や道路運送法違反による摘発を受けるなどして、営業名を転々と変え、また被告車を取得するに当つても、所謂白ナンバーとして陸運局から目をつけられることを虞れ、また車庫証明を容易に取得するため、弟である被告和雄の氏名を借用して、同被告を被告車の使用者とするなどの行為をなしたことなどが認められ、他方前記甲第二号証には、被告西浦は柴興業に勤めるものであると供述し、被告車を単に自己の担当車と称していることに徴すると、前記乙第一号証は、被告照夫の身を守る口実とするために作られたことが疑われ、はたして被告照夫と被告西浦の双方の真意に基づくものかはにわかに措信し難く、従つて右乙第一号証の存在することのみによつては、前記認定を覆えすことはできない。

そして、他に被告照夫が本件事故当時被告車の運行供用者であつたとの前記認定を左右すべき証拠はない。

そうすると、被告照夫は本件事故当時、被告車の運行供用者として、自賠法三条に基づき本件事故による後記損害の賠償責任を負わなければならない。

2  被告政雄について

被告政雄が被告照夫の父であることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一一、第一二号証並びに証人木村進の証言、被告政雄および同照夫の各本人尋問の結果(但し、被告両名の各本人尋問の結果中、後記措信しない部分を除く)によれば、被告政雄は被告照夫が自動車運送業のために貨物自動車を購入するに当り、頭金の一部(金五〇万円位)を出し、自動車売買契約の保証人となり、また自動車販売会社のために、自己所有の不動産上に抵当権を設定し、被告照夫が被告政雄の住宅の庭先に営業車両を駐車させ、被告政雄の住宅の一部を柴興業の営業事務所として使用することを黙認していたことが認められ、右認定に反する被告政雄および被告照夫の各本人尋問の結果の一部は措信し難く、他に右認定を左右すべき証拠はない。

しかし、右認定事実のみでは、被告政雄が柴興業の経営に参加していたものと認めるに足りず、かえつて、被告政雄の本人尋問の結果およびこれによつて真正に成立したものと認められる乙第七号証によれば、被告政雄はもと農業に従事し、土方仕事をするなどしていたが、昭和三五年四月一日以降富山市内にある西田地方食糧販売企業組合に勤務し、現在に到るまで米の配達や集金の業務に従事しており、柴興業の経営にたずさわるようなことは、なかつたことが窺われる。そして被告政雄および被告照夫の各本人尋問の結果によると、被告照夫は結婚し、昭和四五年頃から柳町アパート「福美荘」で一応独立した世帯を持ち、前記自動車運送業を自己の責任で営んでいたものであることが窺われる。

すなわち、以上の事実関係に照らすと、被告政雄は被告照夫が営業用の自動車を購入するに当り、前記のとおり頭金の一部を提供し、また保証人となり、且つその所有不動産に抵当権を設定するなどして被告照夫を経済的に援助したものであるが、それは親子関係にもとづく助力に止まることが窺われ、それによつて被告照夫を指揮・監督するなどして、その営業に参加し、被告照夫と共に自動車運送業を営んだものとはいい難く、従つて、被告政雄が右によつて、被告照夫の車両の運行を現実に支配し、且つその運行によつて経済的利益を得たものと認めるに足りないというべく、他に被告政雄が被告車の運行供用者たることを認めるに足りる証拠はない。

そうすると被告政雄に対する原告らの本訴請求は、その余の点について検討するまでもなく、右の点で理由がないこととなる。

3  被告和雄

成立に争いのない甲第一〇号証によれば、自動車登録簿上被告和雄が被告車の使用者として登録されていることが認められるが、他に被告和雄が被告照夫の自動車運送業に参与していたことを認めるに足りる確証はなく、かえつて被告和雄の本人尋問の結果およびこれによつて真正に成立したものと認められる乙第四ないし第六号証によれば、同被告は昭和四四年ころから親許を出て別居するに到り、昭和四八年九月七日から昭和四九年八月三一日までは、神越石産株式会社に、昭和四九年九月一日から昭和五〇年四月二六日までは、神通川石産有限会社に、そして昭和五〇年六月二六日以降は、前川工業に勤務している者であることが認められ、且つ被告照夫の本人尋問の結果によれば、被告照夫は被告車の車庫証明の取得を容易にし、また無免許の自動車運送業が発覚することを虞れるなどして、被告和雄の氏名を借用し、被告車の使用者名を名目上被告和雄としたことが窺われるのであつて、以上の事実関係においては、被告和雄が柴興業の共同経営者と認めるに足りず、従つて、被告和雄が被告車の運行供用者と認めることはできない。そして他にこれを認めうべき証拠はない。

そうすると、原告らの被告和雄に対する本訴請求は、その余の点について検討するまでもなく、右の点で理由がない。

三  次に、本件事故による損害について検討する。

1  亡重の逸失利益

成立に争いのない甲第五号証、第八号証、原告サキの本人尋問の結果によれば、亡重は昭和一一年一〇月三日生れの健康な男子であり、新制中学校を卒業後就労し、ガス熔接技能を有し、本件事故当時二、三人位の従業員を使用し、ガス熔接工事の下請をなして稼働していたことが認められ、右認定を左右すべき証拠はなく、右認定事実に照らせば、同人が本件事故に遭遇しなければ、なお満六七歳に達するまでの三〇年間、就労可能であつたものと推認される。ところで、本件事故当時における亡重の年収は、明らかとはいい難いが、右認定の亡重の就労状況に照らすと、少くとも、新潟県における建設業従事者の、企業規模計、男子、三五歳ないし三九歳の年収金一六八万四、一〇〇円の収入を得ていたものと認めるのが相当である。

原告サキの本人尋問の結果によれば、亡重は妻および二人の子並びに自己の母親を扶養していた一家の主柱であつたことが認められ、右認定を左右すべき証拠はないから(原告サキの本人尋問の結果によれば、亡重の弟も同居していたが、弟は他に就労し、自己の生活費を出していたことが認められる)、亡重の生活費は、その収入の四割程度と認めるのが相当である。

右認定事実に従い、亡重の本件事故当時における逸失利益の現価を、ホフマン式計算により、民法所定の年五分の割合の中間利息を控除して求めると、金一、八二一万七、五八三円(1,684,100円×(1-0.4)×18.029=18,217,583円34)となる。

2  亡重の過失について

亡重が本件事故当時無灯火で自転車を運転し、進行路線の真中より中央線寄りの、路肩から二・五メートルの附近を進行しており、且つ当時同人は相当量飲酒して自転車を運転していたもので、自転車に乗ること自体危険な状態にあつたことは、原告らにおいて明らかに争わないから、これを自白したものと看做す。

右事実と、前記一に認定の本件事故の態様とを総合すると、亡重の過失割合は二割と認めるのが相当である。

3  そこで亡重の逸失利益につき、右過失割合による過失相殺をすると、金一、四五七万四、〇六六円となる。

4  亡重の権利承継

前記甲第五号証によれば、原告サキは亡重の妻であり、原告孝行、同辰行は亡重の子であることが認められ、右認定を左右すべき証拠はないから、原告らは亡重の死亡により、それぞれ同人の権利を、三分の一宛相続したものと認められる。そうすると原告らはいずれも亡重の右逸失利益についての損害賠償請求権の三分の一である金四八五万八、〇二二円宛の損害賠償請求権を取得したこととなる。

四  原告らの慰謝料

前記三の4に記載のとおり、原告サキは亡重の妻であり、原告孝行、同辰行は亡重の子であつて、亡重は、前記三の1に認定のとおり、一家の主柱として働いていたものである。従つて、亡重を失なつた原告らの精神的苦痛は、甚大であるということができるが、亡重にも前記三の2のとおりの過失があることを考慮すると、原告サキの慰謝料は金三五〇万円、原告孝行、同辰行の慰謝料は各一五〇万円が相当である。

五  葬儀費用

原告サキの本人尋問の結果によれば、原告サキは亡重の葬儀費用として、金六〇万円を支出したことが認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

しかしながら、右金額のうち、金四〇万円が本件事故と相当の因果関係ある損害と認められ、亡重の前記過失を原告側の過失として相殺すると、葬儀費用のうち金三二万円が、本件事故による原告サキの損害ということができる。

六  損害の填補等

原告らは自賠責保険から金一、〇〇〇万円の支払いを受けたことを自認するので、原告らはこれを各自三分の一の金三三三万三、三三三円宛受領したものとして計算すべきである。そうすると原告サキは、前記逸失利益金四八五万八、〇二二円、慰謝料金三五〇万円、葬儀費用金三二万円以上合計金八六七万八、〇二二円から自賠責保険金三三三万三、三三三円を控除した金五三四万四、六八九円の、原告孝行、同辰行はそれぞれ前記逸失利益金四八五万八、〇二二円、慰謝料金一五〇万円以上合計金六三五万八、〇二二円から自賠責保険金三三三万三、三三三円を控除した金三〇二万四、六八九円の各損害賠償請求権を有することとなる。

七  弁護士費用

証人木村進の証言および弁論の全趣旨によると、原告サキは原告孝行、同辰行の親権者として、自己および原告孝行、同辰行の本訴提起を、原告ら訴訟代理人に委任し、昭和五〇年八月二一日着手金として金一二万円を支払い、本件勝訴の際には報酬として金八八万円を支払う旨約したことが認められる。ところで、本件訴訟の内容に照らすと、原告らは本件訴訟を提起するに当り、弁護士をその訴訟代理人として選任したことはやむを得ないものということができるけれども、本件訴訟を提起、維持するために、弁護士二名を必要とするとは認め難く、一名の弁護士をもつて足りるものといわなければならない。しかしながら、弁論の全趣旨によれば、両弁護士は共同して弁護士業務に従事しているもので、原告サキは形のうえでは二名の弁護士に訴訟委任をなしたものとなつているが、実態はいわば両弁護士の共同事務所に対し、訴訟委任をしたものということができ、従つて一名の弁護士に対し訴訟委任をなしたとの実態は異らず、原告サキが支払つた着手金一二万円は、一名の弁護士に支払われたものと同様に取り扱うのが相当であり、且つその金額も本件訴訟の着手金として相当の金額というべきである。そして、本件訴訟の経過、勝訴金額(総額は金一、一三九万四、〇六七円となる)、その他本件訴訟に顕れた諸般の情況に照らすと、原告サキが支払う弁護士報酬についても、そのうち金七八万円は、本件事故と相当の因果関係ある損害ということができる。

そうすると原告サキは、本件事故の結果、右合計金九〇万円の弁護士費用の損害を蒙つたものということができる。

八  以上によれば、原告らの被告小柴三名に対する本訴各請求は、被告照夫に対する原告サキの右損害金合計金六二四万四、六八九円およびうち弁護士費用を除く金五三四万四、六八九円に対し本件不法行為の日の後の昭和四九年八月一五日から、着手金一二万円に対しその支払いの日の昭和五〇年八月二一日から、弁護士報酬金七八万円に対し本件判決言渡しの日の昭和五三年一一月二八日から各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、被告照夫に対する原告孝行、同辰行の右各損害金合計金三〇二万四、六八九円およびこれに対し本件不法行為の日の後の昭和四九年八月一五日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める限度で理由があり、原告らの被告政雄、同和雄に対する各請求および被告照夫に対するその余の請求はいずれも理由がないこととなる。

第二原告らと被告西浦との間の訴訟について

被告西浦は、適式の呼出しを受けたのに本件口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面を提出しないから、民事訴訟法一四〇条三項により、原告らの主張事実を全部自白したものと看做す。

右事実によれば、被告西浦は、本件事故の不法行為者として、原告ら主張の本件各損害(但し、葬儀費用のうち、金四〇万円が本件不法行為と相当因果関係のある損害ということができる。また原告サキが、本件提起を弁護士に委任したことは、やむを得ないものと解しうるが、弁護士は一名をもつて足りると認められる。但し、弁護士費用金額については、本件においては、第一の六に説示のとおり、原告サキはいわば一名の弁護士に訴訟委任をなしたのと同様に取り扱うのが相当であり、その着手金、報酬金額の支払いは、本訴認容金額等に照らし、本件事故と相当因果関係のある損害と認められる)を賠償すべき義務があることとなる。

そうすると、原告らの被告西浦に対する本訴各請求は、被告西浦に対する原告サキの右損害金合計金七三五万四、六〇二円および弁護士費用を除く金六三五万四、六〇二円に対し本件不法行為の日の後の昭和四九年八月一五日から、着手金一二万円に対しその支払いの日の昭和五〇年八月二一日から、弁護士報酬金八八万円に対し本件判決言渡しの日の昭和五三年一一月二八日から各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、被告西浦に対する原告孝行、同辰行の各右損害金合計金三九五万四、六〇二円およびこれに対し本件不法行為の日の後の昭和四九年八月一五日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める限度で理由があり、その余の請求は理由がない。

第三むすび

以上の次第で、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し(但し、被告照夫および被告西浦の各責任は、連帯責任)、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、同条但書、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小林茂雄)

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